第2の人生の話

サラリーマン人生を60歳までやり遂げた。
年も老いたが、沢山の経験もした。サラリーマン時代と言えども、日々此れ人生!で、そこそこ好きなことをやり続けてきたが今からこそが本当の俺の人生だ!!。


<先ず、健康でなければならない。>

豊かな人生を送るためには、自分自身が肉体的にも精神的にも健康である必要がある。勿論、人生を通してであり、老いてからに限ったことではないが、第2の人生はより重要だ。肉体的健康の源は”運動”である。人間は動物である、食糧を得て、敵と闘争して、生き延びる必要がある。日々、運動は欠かせない。精神的健康の源は”大好きなこと”をやり続けることである。誰も、好きではないことを長く続けられない。自分の夢、目標、義務を達成する為、好きでもないことを無理やりやり続けることが最も健康を害する。家族を養うため、好きでもない仕事を続けることは最悪。でも、第2の人生はそんな失敗はやめる。要は、自分の一番好きなこと、46時中続けても飽きない程、興味のあること、それを第2の人生で実現する。
以上が、私の第2の人生観である。
そこで、私の第2の人生はこうして始まった。

1.運動で肉体的健康を維持し続ける。

  若い頃から、やり続けているスポーツ、スキーとヨット。50歳から始めた、地域の壮年サッカー活動。これが、私の運動です。

   ・サッカー
    毎週日曜日には、近所の小学校でサッカー練習(試合形式)、体育館内でフットサル。40代、50代、60代、70代、負けじと動き回ります。2時間程の練習の後で、昼間から芝生で一杯も時々あります。最高に気持ちがいいのとビールが旨い。

  ・スキー
    生まれが新潟県高田(現:上越市)で、雪とスキーは幼馴染です。それ以来、今でも毎年"SCC"仲間と、野沢温泉スキー場と八方スキー場での急斜面滑降は欠かせません。

   ・ヨット
    20歳頃から、城ケ島ヨットハーバーでディンギー指導を受けたのが始まりです。当時はyamaha15、先輩のseahorse15を譲り受け、仲間で遊びました。城ケ島ヨットハーバーでヤマハヨットのトレーナをしていた大学の先輩とその仲間でクルーザー購入の話が起こり、勿論私も参加させて貰いました。1974年、6人のメンバーで購入した25フィート  splenderNZ。蒲郡で進水し、油壺湾で停泊。その後、現三崎マリーンをホームポートに30年を超えました。城ケ島、江の島、相模湾を中心に週末セーリング、連休は伊豆半島、伊豆諸 島、へクルージング。何れは、日本一周、世界の港を見たい!との声もありましたが、いまでは・・・・。15年前、新たなメンバーを加えて(YAMAHA30SRC)に乗り換え。今でも、中心は若者に移りましたが、現役で古参船員として愉しんでいます。

   ・登山
    近くの高尾さん系、奥多摩系、一人で歩くのが最高。昨年は、涸沢から北穂高岳踏破。北アルプスの3000M級を元気なうちに上り切りたいと思っています。

2.趣味と実益

子供の頃から電気製品いじりが好きで、アマチュア無線とか真空管オーディオアンプ(子供の頃は真空管全盛)製作に、最大の興味があった。電子工学を学び、サラリーマンは電気技 術( 主にハード回路)で終始。パソコンはNECのPC8001?が出始める頃からいじくっていた。
  第2の人生設計段階で、よくよく考えてみると、一番好きで飽きないのは”電気いじり”かな?との結論。定年直前、本格手的にパソコンの自作、プログラム学習をはじめたら、面白い こと!、飽きない。LINUX、APIソフト、GPS、各種周辺機器、何でも知りたい!、プログラムを開発したい。興味が募る一方。再雇用、再就職してサラリーマンを継続して、収入を得 るか?いや、もうそんなにお金はいらない。サラリーマン時代から、趣味と浪費で生きて来た身、貯えがある訳がない。でも、年金で大凡暮らせるはずだし、贅沢な生活は所詮望まな  い、家族でそこそこ暮らせれば十分。あわよくば、趣味の自営企業を設立し小遣い銭稼ぎが出来れば最高。
パソコンの修理とかをメインにパソコンサポート会社を設立し、今まで温めた興味を片っ端からこなし、サポートの注文があれば少し手数料を頂いて、費用に充てよう。週末は運動を 今まで通り、楽しみながら。

3.現状

2010年4月開業、5月から実質的に個人事業主として活動開始、3か月の今、略目標達成。毎日、好きなことをやりたい放題、少し仕事の受注もあり、順調な滑り出し。問 題は、狭い家 で好きなことをやることは、上さんの大いなる邪魔になるらしく、避難轟々。やはり、もう少し収入を得て、実験室兼工房の隠れ家が欲しい。

   第2の人生万歳!!

トップページに戻る